【ユルい社長の気になる話】

《『まつり』が消えていく》

例年、自分の所属する近隣3町内会が合同で、7月に開催していた夏祭りが中止になった。いろいろな理由はあったのだろう。盆踊りはやったが、先は解らない。

『まつり』は古代より民心掌握と士気の鼓舞という両面をもっていた。徳川家康が長らく続いた戦国時代の荒廃から脱却すべく、祭りを積極的に奨励したのは有名な話である。

大袈裟ではなく、オリンピックやワールドカップ、万博やサミットなどは、すべて国威発揚、民心掌握、経済活性化の役割を担っている。それは、国際的祭典も町内会のお祭りも変わりがない。

ただ今は、経済活性化のみにスポットが当たり過ぎ、『まつり』の本来の意義深さからかけ離れつつある。(少なくとも札幌はそうである)

もはや国際的祭典といっていい『さっぽろ雪まつり』。一部市民が参加し、郊外には市民が楽しめる会場もあるが、基本は『まつり』という名の経済イベントである。

期間中はまつり関係者、あるいは観光関連の業者に恩恵はあるが、交通規制であちこちで渋滞はおき、総体的経済効果はいまひとつ。

おまけに世論調査で市民の過半数が関心がない、との結果公表では『市民不在』と言わざるを得ない。

『よさこいソーラン祭り』も同様である。祭りの本質からかけ離れた、と言っては言い過ぎだろうか?

札幌夏の風物詩、大通公園のビアガーデンの歌舞音曲の自粛、豊平川恒例の花火大会の自粛。それは、楽しみにしてきた市民への背信と『まつり』のもつ意義と使命への希薄さを感じる。

会社も『まつり』が、めっきり陰を潜めた。一年間、何ら節目もなく、ただ黙々と働き続ける図式は、ただ財政難だけでは済まされないような気がする。

『まつり』が消えた社会はどうなるのか。

感動や驚き、喜怒哀楽、連帯や協力、夢や努力や経験…
こういったことが希薄となり、ただ無機質な日常に埋没してしまうのか?

不完全な人間が人間らしく生きる実感が湧くことなく、ただ個人主義者たちが跋扈する薄ら寒い社会になってしまうのだろうか?

子どもの頃『半ドン授業』後に小銭をもらって、ワクワクしながら友達とお祭りに行った、あのトキメキがなくなると思うと、残念であり悔しさが募る。


【ユルい社長の気になる話】

《健康になりたければ天然塩を!》

『精製塩』は海水をイオン交換膜で化学的に精製された塩化ナトリウムという化学物質で、本来人間にとって必須なミネラル分であるカリウム、カルシウム、マグネシウムなどはほとんど入っていません。

一方『天然塩』とは、海水を濃縮して水分を除いたもの。当然、天然塩には海水に含まれている豊富なミネラルがそのまま残っています。

人は体内に海と同じ組成をもっているので、海の塩は人体に必要な栄養素なのです。

塩が不足するとミネラル不足で健康を害するのです。天然の天日塩であれば、人体が欲している物質が多数含まれているので、ある程度の量の摂取は体に悪いどころか、非常に有益といえます。

大切な栄養素であるビタミンは、ミネラル不足だと吸収されません。酵素も働きません。

食べ物を消化分解して、栄養素を取り込む働きをする消化酵素。取り込んだ栄養素をもとに、細胞を作ったり毒素を排出する代謝酵素。

特に代謝酵素は、免疫や自然治癒力にも働きかけ、生命にとって重要な役割を担っています。

このように、生命活動において欠かせない存在である酵素を支配しているのがミネラルなのです。

ミネラルは昔は食事のなかで自然と摂取されるのが普通でした。しかし、今の日本の食事は、加工品や添加物だらけで、野菜も昔に比べると栄養素がありません。

ミネラルが簡単に摂取できる自然塩ですら、近年の『減塩ブーム』で摂取量が減り、慢性的なミネラル不足に陥っています。

これがガンを増やした原因であるともいわれます。

よく高血圧の原因は塩分の摂り過ぎといわれていますが、それはまったくの迷信といえます。

マスコミの影響もあり、塩分は何かと悪者にされてきました。

しかし、『ちゃんとした塩』を選べば、逆に健康になれるのです。

世間で大量に出回っている『減塩商品』は、塩の旨味を補うため大量の化学調味料が使われ、減塩の保存性の悪さを補うため、添加物も大量に使われています。

健康がすべてではありませんが、

健康を失うと、すべてを失うのです。